エイン・ソフ

十一のうち第 7 階梯

תִּפְאֶרֶת

ティフエレト — 均衡と統合された生

慈しみは真理の停止ではない。人を丸ごと勘定に入れた真理である。

中心にある対比

ハヴァー・カドモナーの視座

古典的な方向

  • 完全な均衡の美。

ハヴァー・カドモナーの方向

  • 統合された生の美。

古典的な方向ティフエレトは調和させる中心である。ヘセドとゲヴラーの、各々にその分が与えられる正確な比。אֱמֶת、真理に結びつけられるのは、真理とはいずれの側へも歪めないものだからである。

ハヴァー・カドモナーの方向第二の方向はティフエレトを רַחֲמִים、慈しみとして読む——そしてこの語が רֶחֶם、胎と語根を共有することに注意を促す。ここでの慈しみは寛容さではない。一つの生を、その矛盾も含めて、判決へと砕くことなく保持する能力である。

ティフエレト

古典的典拠

物語はこの階梯の自然な住処である。正義と慈しみとを、一方が他方を消し去ることなく共に保持しうる唯一の形式が、物語だからである。

判決は、誰が何をしたかを述べる。物語は、誰が何をしたか と同時に、それが何を代償としたか、何がそれに先立ったか、そしてそれがなお何になりうるかを述べる。いずれも偽りではない。だが生を担いうるのは一方だけである。

ティフエレトが図の中心に置かれているのには理由がある。その上にあるものはすべて原理であり、その下にあるものはすべて生きられねばならない。

慈しみは真理の停止ではない。人を丸ごと勘定に入れた真理である。

エイン・ソフにとっての含意

ハシディズムにおける展開

無限者は憐れみの側面と厳しさの側面とに分かたれてはいない。憐れみと審判とは、一つの分かたれざる意志が、込み入った受け手に出会うときに現れる仕方である。

アヴォダー

ハシディズムにおける展開

複雑さを、押しつぶすことなく保つこと。文脈なき審判の残酷さと、真理なき慈しみの臆病さとを、ともに拒むこと。

典拠ラハミームとレヘムの結びつきは古典的である。それを統合の説明へと展開することは、ここで用いられる解釈枠組みに属する。