エイン・ソフ

顕現

גִּילּוּי

与えと返しの回路

下降する光は、返る光とは別の光ではない。変わるのは方向であり、そのあいだに受け手が何をなしたか、である。

אוֹר יָשָׁר

直進する光

  • 与えること。
  • 伝達。
  • 構造。
  • 規定。
  • 使命。

אוֹר חוֹזֵר

返る光

  • 受け取ること。
  • 血肉化。
  • 体現。
  • 応答。
  • 返し。

下降する光は、返る光とは別の光ではない。

回路が閉じるのは、受け手が応えうるときである。

オール・ヤシャルとオール・ホゼル

古典的典拠

古典カバラーは、同一の光の二つの方向を描き出す。אוֹר יָשָׁר、直進する光は、源から受け手へと進む。אוֹר חוֹזֵר、返る光は、受け手が反射して返すものである。

第二の語がいかに奇異であるかを聞き取らねばならない。返る光とは、受け手が自らの寄与を神のそれに付け加えたものではない。受け手はいかなる光の蓄えももたない。返るのは同じ光であり、それを受け取りうる何かを通過したのちの光である。そしてそれは変化して返る——実体においてではなく、いまや応答を帯びている、という点において。

本書はこれを、宇宙論全体の中心的な構造的事実として扱う。純粋な下降だけの宇宙は、途切れることのない独白であろう。オール・ホゼルこそが、この配置を放送ではなく関係たらしめるものである。

יֵשׁ מֵאַיִן

無からの有という秘義

ハシディズムにおける展開

יֵשׁ מֵאַיִן ——無からの有——としての創造は、通常、起源についての主張として聞かれる。かつて何もなく、次いで何かがあった、と。

ハシディズムはこの語を反転させる。下から見れば、世界は明らかに יֵשׁ、実体的で自明であり、その源は אַיִן、不在であり無である。まさに位置づけも計測も知覚もできないがゆえに。上から見れば、神的な源こそが唯一の真の実在であり、被造の存在のほうが אַיִן である——それが幻だからではなく、自らのものである存在をまったくもたないからである。

これは世界が非実在だという主張ではない。机は机であり、苦しみは苦しみであり、物質的な対象をもって行われるミツヴァーは物質的な対象をもって行われる。創造は、被造の実在としては実在する。それが決してそうでないのは、独立した 実在であることだ。

下から見れば

世界はイェシュとして現れる。

源はアインとして現れる。

上から見れば

神的な源こそが真の実在である。

被造の存在は、自らの源をもたない。

創造は被造の実在としては実在するが、けっして独立した実在ではない。

メマレーとソヴェヴ

ハシディズムにおける展開

ハシディズムは神的臨在の二つの様態を区別する。両者の混同はただちに誤りを生む。

מְמַלֵּא כָּל עָלְמִין ——すべての世界を満たす——とは、内在化された神的生命力であり、各世界・各受け手の器量に応じて精確に量られている。被造物が他ならぬ この 生をもち、石における生命力と知性における生命力とが異なるのは、このためである。

סוֹבֵב כָּל עָלְמִין ——すべての世界を取り巻く——とは、いかなる世界も内在化しえない仕方で余る神的臨在である。空間的に外側にあるのではない。包み込まれることなく臨在するという意味で取り巻いている。最高のものにも最低のものにもひとしく臨在するのは、そもそも量られた仕方では受け取られていないからである。

そしてハシディズムは、その最も特徴的な一手を打つ。アツムートは、ソヴェヴの彼方にあるさらに大きな第三の環ではない。本質は、取り巻くもの以上に取り巻くのではない。それは満たすことと取り巻くことの区別そのものに先立つ——だからこそ本質は、下降なしに最下位の場所において見出されうるのである。

עַצְמוּת

満たすことと取り巻くことの区別を超えて。

メマレー — 満たすソヴェヴ — 取り巻く
図は、本質が終わるより先に終わる。
続くסְפִירוֹתセフィロート回路は概略として述べられた。いまやそれを、一階梯ずつ歩んでゆく。