十一のうち第 5 階梯
חֶסֶד
ヘセド — 川と抱擁
顕現は器に合わせて量られる。
中心にある対比
ハヴァー・カドモナーの視座古典的な方向
- 流れる川。
ハヴァー・カドモナーの方向
- 自らを形づくる抱擁。
古典的な方向ヘセドは拡がる、外へ向かう、量られぬ与えである。受け手が何を容れうるかをまず問わない、施しの衝動。典拠の語法では、それは流れる。
ハヴァー・カドモナーの方向川は杯を溺れさせる。第二の方向はヘセドを、受け取る者の形をとった与えとして読む——世界一般に向けられた寛大さと、この一人の人に向けられた寛大さとの差である。
ヘセド
古典的典拠伝統における応答的な与えの最も明瞭な事例は、トーラーそのものである。神的知恵は無限であり、一節の言葉はそうではない。ハラハーの装置のすべて——その具体性、事例、寸法——は、形をとることに同意したヘセドである。
だからこそ典拠は、トーラーの有限性を愛の限界ではなく愛の一形式として扱う。受け取られえない教えは、贈り物ではないだろう。
両方向を併せ読めば、本書の残りを貫く一つの原理が現れる。容量は寛大さの障害ではない。容量こそ、寛大さがそのためにあるものである。
顕現は器に合わせて量られる。
エイン・ソフにとっての含意
ハシディズムにおける展開ツィムツームはヘセドの否定ではなく、その完成である。量られぬ光は有限な受け手に絶滅以外の何も与えない。量られた光はすべてを与える。
アヴォダー
ハシディズムにおける展開自らの寛大さの形ではなく、受け手の形において与えること。その人が実際に何を受け取りうるかを知ること。
典拠有限な形に入る神的知恵としてのトーラーは、タニヤとリクテー・トーラーで詳述されるハバドの中心主題である。