ゲウラー
שְׁכִינָה
とどまり続ける臨在
超越する王。民と共に赴く臨在。
シャハン、住まうことから
古典的典拠וְעָשׂוּ לִי מִקְדָּשׁ וְשָׁכַנְתִּי בְּתוֹכָם
彼らはわたしのために聖所を造れ。わたしは彼らのただ中に住まう。
שְׁכִינָה は שָׁכַן、住まう・とどまるに由来する。力の語でも、栄光の語でも、超越の語でもない。どこかに留まることを言う語である。
ミシュカンを命じる句はこう言う。וְעָשׂוּ לִי מִקְדָּשׁ וְשָׁכַנְתִּי בְּתוֹכָם ——わたしのために聖所を造れ。わたしは彼らのただ中に住まう。この語法は立ち止まるに値する。その中に ではなく、彼らのただ中に である。建物は機会であり、民こそが住まいなのだ。
これは本書が初めから積み上げてきたのと同じ主張を、宇宙論の語彙ではなく建築の語彙で述べたものである。
追放における臨在
古典的典拠ハザルは、イスラエルが追放された先はどこであれシェヒナーは共に赴いた、と述べる。この言明は通常の意味で慰めではない。追放が短縮された、和らげられた、説明された、とは言っていない。
言っているのは、臨在が隠蔽の場所にある、ということである。遠くからそれを眺めているのでもなく、終わるのをどこか別の場所で待っているのでもない。
これは歴史のうちに現れたネツァハの第二の方向である。留まることによる勝利。救出によってではなく、去ることの拒否によって示される契約。
מַלְכוּת
マルフート
- 超越する王。
שְׁכִינָה
シェヒナー
- 民と共に赴く臨在。
臨在は隠蔽の場所にある。遠くからそれを眺めているのではない。
神から空いた場所はない
古典的典拠ティクネー・ゾーハルの לֵית אֲתַר פָּנוּי מִינֵּיהּ ——神から空いた場所はない——はしばしば慰めとして引かれる。より正確には、それは構造的な帰結である。
エイン・ソフに境界がないなら、何かがそこに在りうるような神の外部の場所は存在しない。したがって追放における臨在は特別な計らいではない。ある特定の日の、特定の通りに適用したときの、無限性の意味そのものである。